ゲド戦記



ゲド戦記 アーシュラ・K・ル=グウィン著 清水真砂子訳

ゲド戦記 1 影との戦い (ソフトカバー版)ゲド戦記 2 こわれた腕環 (ソフトカバー版)ゲド戦記 3 さいはての島へ (ソフトカバー版)ゲド戦記 4 帰還 (ソフトカバー版)ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)ゲド戦記 5 アースシーの風
1 影との戦い
2 こわれた腕環
3 さいはての島へ
4 帰還
ゲド戦記外伝
5 アースシーの風

順番通りに読むのが一番良いと思った。
※まだ外伝を読んでいないのだが、そのうち読もうと思っている。


1. ゲド戦記における魔法使い
・魔法を使って自然を変化させれば、自然のバランスもまた変化する。その結果が分かっていない者はその魔法を使うべきではない。
・魔法には「姿変えの魔法」もある。しかしクマに変化し、もはや人間に戻ることを忘れ、そのままクマになってしまった魔法使いの話がある。
・こういった事情があるため、「まやかしの魔法」が子供だましにはうってつけなのである。
・魔法を使うには、「真の名」をもってする。そういう意味で、辺境においては魔法が全く通じないかも分からないのである。ローク学院で叩き込まれる知識の量は膨大である。


2. ゲド戦記における竜
竜の描かれ方がひじょうに面白い。竜は強大な力を持った恐ろしい存在であり、太古の言葉を使う存在でもある。竜と交渉した者が人々から「竜王」と呼ばれる。ファンタジーゲームでよくあるような、力には力で討伐する、といった存在としては描かれていない事に激しく萌えた。


3. 太古にいったい何があったのか
その世界観は「アースシーの風」で総括された感じがある。しかしそれ以上に話の全体として、様々な概念が登場する度に、様々なインスピレーションを与えてくれる。平たい言葉でいうならば、夢がひろがりんぐ。


4. 個々の感想

・1巻、物語的にはただストイックに影を追うだけという地味さなので「楽しかったー」という感じではないのだが、世界観が非常に面白かった。

・2巻、これも初めのうち読むの大変。でもやっぱりきっちりゲドにまつわる話なのだからル=グウィンの構想力は半端ない。話がつかめてくると、かなり面白い話になってくるので凄い。

・3巻、「帰還」まで読んだことがあるが、これが一番インパクト少なかったかも分からない。でもぼちぼち思い出してみるとやっぱり不思議ワールド全開なので、やはりルグウィンは凄い。4冊中一番オシャレなエピローグ。

・4巻、これもまた凄い構想。解説によると、この「帰還」を発行するまでは結構時間を経たらしいので、もしかしたら構想が中々まとまらなかったのかもしれない、そりゃそうだ。ゲドってヒーローになってハッピーエンドで終了なんじゃないの、っていうのが常人の発想のように思う。

・5巻、1〜4に散りばめられた背景的な要素が、この「5」にてまとまる感じ。原因があって結果あり、というか。初めから5の世界観が提示されて、そういうものだと分かっていて1〜4を読んでも、さほど面白く読めていなかったのかもしれない。けっこう自分の中で勝手に空想世界が広がっていたりするので。世界の果てがあると困るというか。空想世界に果てがないというか。



脱線

本を読んでいて読み読み途中に、面白いと感じる概念的な部分部分というのがあるんだろうけど、結末が近づいてきて最後のほうを読んでいくうちに、前に面白いと思ったそういう部分を忘却してしまいがち。つまり結末だけしか覚えていないとか、そういう風になりがち。

面白いかけらとかけらの繋ぎ合わせ。全体で結末がついてフィニッシュすればOK。あからさまにこういう感じの手法でかけば、矛盾点が出る。だから出ないようするのだろうけれども。ジャンプの「ワンピース」ってそういうのに近いような。というか週刊誌連載物って大抵そういう感じなんだろうっていう風にも思うし、それが悪いとも思わないし。

※ゲド戦記がそういう本だといっているわけではない。



ゲド〜戦いのはじまり ロバート・リーバーマン監督
ゲド~戦いのはじまり~

クリスティン・クルックのテナー萌え。

「影との戦い」と「こわれた腕環」が元になっている。勧善懲悪の分かりやすい世界観による、エンターテイメント。ハイタカが真の名であり、ゲドが通称になっている。なぜわざわざ逆にしたのか意味不明。序盤のゲドの幼馴染?の女性との馴れ合いとか、完全に意味なさげ。コシルのエロスとかも釣なのか。悪の枢軸さえ分かってしまえば、ストーリーがすんなり把握できる。原作ゲド戦記の舞台を借りた別物。とはいえエンターテイメントとして頭を切りかえて観るには、映画の仕上がり的には悪くない感じ。



ゲド戦記 宮崎吾朗監督
ゲド戦記
「さいはての島へ」と「帰還」が元になっている感じ。詳しい評価については他に任せる。

少なくとも私にとっては原作とは別物。原作を読んだ解釈が人によってここまで異なるということなのか。「良かった」とも書けなければ、「あえていおうカスであると」とも書けない。原作へのネタバレ、先入観、という視点からみるならば、あえてカスといえるかも分からない。それくらい原作は好きだということなのだが、見てなかったらまず原作読んだほうが良いと思う。

ウサギがババア二人に対して「ババア」と罵る台詞があった。ここが直感的に嫌いだった。あの部分で「ババア」という台詞が要るようなキャラクターなのかといったら、そうでもない。後々考え直してみても、不要な台詞のような気がしてきた。ジブリには何か一定のボーダーラインがあるように感じていたのだが、あの台詞にGOサイン出してしまうというのに驚いた。

抜き身の剣で、腕を落とす。このシーンも嫌いだった。単純に勧善懲悪で化け物退治を表現するならば、人間の腕ではなく化け物の腕を落とせば良く、腕を切ったのならば切ったで、切った腕は死ぬまで背負うのが、ゲド流に思う。考えてもみれば、テルーの顔の火傷にしても、ハイタカ(ゲド)の顔の傷にしても、過去を背負うというものが、原作を読んだときに伝わってきたメッセージだったような気がしなくもない。更にいえば、スプラッター的なシーンも、あとでドロドロに溶けて、もとの身体に戻って、腕を落としたという事実が誤魔化されている。

他にも気になったところ。クモのウサギに対する暴力。奴隷に逃げられたと報告した時に、ウサギがあんな仕打ちを受けるという意味が分からない。

次にウサギにテルーが襲われるのをアレンが助けるところ。アレンの表情の変化が、私には気持ちが悪い。エヴァンゲリョンが世に出てからああいうのが増えた気がする。流行っているのか。

ルグウィンのコメントも、なんとなく言いたいことが分かるような気がしなくもなかった。



宮崎駿とゲド戦記

とくに「風の谷のナウシカ」の世界観は「ゲド戦記」の影響が感じられた。ユパ様はオジオンの面影があるし、テトはオタク(ヘグ)に由来していそうな感じ。「ゲド戦記」を監督しなかったのは、もしかすると「風の谷のナウシカ」と同じ感じになってしまうのを危惧したからなのかもしれない。実際、初めてオファーを入れたのはナウシカの映画化前のようだ。当時は断られたかもしれないが、映画ナウシカが生まれたわけで、天佑だったのかもしれないなあと思った。


2007/09/04  (火)    trackback ( 0 )   comment ( 2 )