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坂の上の雲 概要と感想

坂の上の雲 司馬遼太郎


第一部 春や昔、真之、騎兵、七変人、海軍兵学校、馬、ほととぎす、軍艦、日清戦争、根岸、威海衛、第一部あとがき
第二部 須磨の灯、渡米、米西戦争、子規庵、列強、十七夜、権兵衛のこと、外交、風雲、開戦へ、第二部あとがき
第三部 砲火、旅順口、陸軍、マカロフ、黄塵、遼陽、旅順、沙河、第三部あとがき
第四部 旅順総攻撃、二○三高地、海濤、水師営、黒溝台、第四部あとがき
第五部 黄色い煙突、大諜報、乃木軍の北進、鎮海湾、印度洋、奉天へ、会戦、第五部あとがき
第六部 退却、東へ、艦影、宮古島、敵艦見ゆ、抜錨、沖ノ島、運命の海、砲火指揮、死闘、鬱陵島、ネボガトフ、雨の坂、第六部あとがき


日露戦争に関する詳しい記述であり、ひじょうに勉強になった。更に言えば、この分野の風呂敷の種本的なものを「坂の上の雲」に見た。


明治人の物語であるという。昭和は日米戦に負けた時代であるが、明治は日清日露に勝った時代だ、という個人的な印象が強い。乃木希典や東郷平八郎が軍神と崇められていることは知っている。

第一部のあとがきに、「このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほどに楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」とある。

いうなれば「坂の上の雲」の指すところの「坂」は勝利への階段であり、ロマンチックな物語なのだろうと勝手に思っていたが、思い違いだった。


物語は、基本的には秋山好古、真之兄弟、そして正岡子規の三人の人物が中心になっている。まず最初に秋山好古(よしふる)が登場する。次に好古の弟である秋山真之(さねゆき)と、真之の同学の正岡子規が登場する。六部構成ではあるが、正岡子規は第二部の十七夜にて病没する。いよいよ日露の開戦が迫り第三部へと移り、以後第六部まで日露の戦いに関する記述となっている。三人ばかりでなく、日露戦争の背景にあった数々の人物について知ることができる。


第六部あとがきより、この作品は執筆期間が四年と三ヶ月、準備期間として五年使ったという。書き終えた日の数日前に四十九歳の誕生日を向かえ、そういうわけで司馬遼太郎の四十代はほぼこの小説に使ったような感じになってしまったのだという。

司馬遼太郎全集にて拝読したが、全六部は一冊500ページ以上のものが三冊に渡り、日露戦争に関する部分を仮に第三部から第六部までとしても1000ページ以上。これが高校の教科書では1ページそこらのものであるから、高等教育といってもその程度であり、知ったかぶりに似ている。


第二部「開戦へ」に、「どうにか四分六分まで漕ぎつけたい」「つまり六ぺん勝って四へん負ける。このうちにたれか調停者が出てくるだろう。それが米国であることがのぞましい。君に八面六臂の大活躍を米国でやってもらうことを、おれはおがむような気持ちでいる」とある。

日露の戦いは勝ったものだと思っていたが、別に勝ったわけではないというのがよく分かった。敵は壊滅するに至っておらず、陣を数歩退いたにすぎないというのがよく分かった。そしていくつかの勝利は兵站線を確保したに過ぎないというのがよく分かった。そもそも勝てる相手ではなかったというのもよく分かった。

第六部「死闘」に、「梨羽は笑い出して、六分も運、四分も運ならみな運ではないか、というと佐藤は、前の六分は本当の運です、しかしあとの四分は人間の力で開いた運です、といった。」とある。

まさにそのような内容が書かれていた。


「司馬史観」という言葉を見聞してきた。まさに日露戦争を題材とした「坂の上の雲」であるから、司馬史観がなんたるかを読むことができるだろう、という期待があった。しかし残念ながら自分の読んだところでは「坂の上の雲」には司馬史観な世界は広がっていなかった。愚痴っぽく読める部分はあったにせよ、局所的なものにすぎなかった(司馬遼太郎の著作は数多あるので、もしかしたら他の著作に「司馬史観」というものが書かれているのかもしれない)。

第六部のあとがきより、「小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、…」「いまひとつ言えば自分が最初の読者になるというだけを考え、自分以外の読者を考えないようにしていままでやってきた(むろん自分に似た人が世の中には何人かいてきっと読んでくれるという期待感はあるが)」とあった。そういわれてみれば、小説全体が日露戦争に関する司馬遼太郎の覚書のようにも思えた。
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