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坂の上の雲 2-1 「須磨の灯」

坂の上の雲でいつまでも足踏みをしているわけにもいかない。

買い揃えて、何度でも原文を読めば良いのだろうが、一度読んだものと思っていると、なかなか読み直すようなことはない。また、自分で備忘録をつけたからといって、それを自分で読むかといえば、難しいところがある。


「須磨の灯」

>かれが日本を出発したときにはすでに下関に李鴻章がきており、講和談判がはじまっていた。

広島→宇品港→大連港→柳樹屯→金州城→旅順→金州城→大連港→下関→神戸港

子規は従軍から帰国したが、総じて、身体に無理が響いていた。五月下旬に帰国。神戸病院に二ヶ月入院、高浜虚子、母のお八重、河東碧梧桐に看病してもらう。退院し、須磨保養院で養生。八月下旬に松山に戻った。戻ったといっても家は既に引き払っているので、母親の実家におちついたが、夏目漱石が松山中学に赴任して下宿していたので、その下の部屋に引っ越した。大学予備門のころから交遊はあったらしい。十月十九日に松山を発つ。

真之も帰国、数日の休暇が出たので、子規を見舞いに呉から松山に来た。

子規は、虚子と碧梧桐に関して、別居を勧めたりした。あと子規には、
>良句もできるが、駄句もできる。しかしできた駄句は捨てずに書きとめておかねばならない。
>自分のつくった句を粗末にして書きとめておかぬひとはとてものこと、(ry
というような主義があったらしい。

子規の部屋は獺祭(だっさい)書屋であったらしい。真之は、元はともかく、今は海軍馴れしてしまったらしい。

真之は日清戦争時、巡洋艦筑紫の航海士であった。基本的に第二線だった。一度、決死隊に選ばれ上陸することが決まったが、作戦中接岸できなかったため中止になった。筑紫も被弾したことが一度あり、下のような様子だったらしい。
>その巨弾は爆発せぬままに筑紫の左舷から中甲板をつらぬいて右舷側へとびだし、そのまま海中に落ちた。いわば串刺しの目に遭ったが、このとき、下仕官一、兵二あわせて三人が即死し。将校二、兵三が負傷した。
>あの肉や骨のとび散った真紅の光景はかれの終生、その夢見に出つづけたほどのすさまじい印象をかれにあたえた。

日清戦争に関しては、まず清兵がまるきり戦う気がなかった。日本海軍に関しては、操艦は(イギリスのように)見事だったが、砲術は酷かった。黄海海戦と威海衛攻撃があったが、黄海で終わっているべきだった。威海衛は余分だ。というようなことが書かれていた。

軍艦は優越、兵器弾薬も精良、供給も十分、将校兵員の能力も優越。砲術はどちらも悪かったが、どちらといえば清が優った。というようなことを、米国海軍大佐A・T・マハンという海軍戦術学の権威が言ったらしい。

子規の主張するところに、写生主義というのがあるという。須磨にいたときに、源氏物語の須磨明石の巻を読んでいたらしい。源氏物語は写生力が強いらしい。
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